藤江モリヒトを知る小さなあれこれ

【藤江モリヒトを知る小さなあれこれ】

こんにちは、藤江司人です。私の名は日本画家だった母方の祖父がつけてくれたもので、これで「もりひと」と読むのですが、皆さん読めないですよね。今までに読めた人は中学の古文の先生唯一人だったので、ビジネスでは藤江モリヒトと表記しています。
私のことを多少でも知っていただこうと、自分についての小さなあれこれを書いてみることにしました。どうぞお付き合いくださいませ。

グラフィックデザイナーになろうと思ったのは、中学2年生の時でした

中学2年生のある日、突然「グラフィックデザイナーになろう!」と思いました。それは「職業がデザイナーってかっこいいよな!」と思ったから、という子供じみた衝動でしたが、自宅から歩いて通える距離の県立神奈川工業高等学校に産業デザイン科(グラフィックデザイン/プロダクトデザイン)があったうえ、進路について親が全く反対しなかったことから、俄然現実味を帯びてきました。

そして高校入学。中学生の時は美術の成績は良かったのですが、高校に入ると才能あふれるクラスメートとの差に打ちのめされる日々で、悶々としながらの高校生活を送りました。また自分のデザインに対する自信のなさから、就職は諦めて大学に進学することを決めました。...そう書くと変な感じですが、当時は専門教科の成績の良い者から就職先が決まっていったのです。大学で続けてデザインを学ぶこととなり、なんだかんだあったのちに高校時代の先輩が勤めていた、六本木の小さなデザイン事務所に就職することになりました。時代は折しもバブル期真っ只中、月に2回ほどは泊まり込みで働いていましたが、眠らない街六本木は夜通し明るくにぎやかで、先輩と一緒の制作業務はまるで合宿のような感じでした。
またこの時期同僚がいまして、彼は大学時代のゼミ仲間。なぜか僕と一緒に入社することとなり、それも楽しかった一つだと思っています。仕事が一段落した夜中の3時すぎに、皆で焼肉を食べに行ったりもしましたし(笑)。

転職〜独立、そして会社設立

8年ほどその会社で働いたのち、他の会社で経験を積むこととなり転職しました。全くの偶然だったのですが、転職先の所在地は前の会社から150m程しか離れていない場所。出勤時に旧部下たちと会ったりすることもあり、若干気まずかったのを覚えています。
この会社で3年ほど研鑽を積んだ後、独立して会社を設立しようと考え始めました。そこで声をかけたのが、先に登場した大学のゼミ仲間で前の会社の同僚。二人が共同経営者となり、2001年に「合資会社アイザックエレメント」を設立することとなったのです(この共同経営者は、2018年4月より病気のため休職しています)。

デザイナーは専門オタクでも頑固な職人でもありません

さて、二人して会社を興して事業を始めたわけですが、それぞれ営業の経験がない!「まあ、よいものを作っていけば、今に認められるさ(これ大間違い)」と思い、少ないクライアントの仕事を全力でやっていました。しばらくは順調だったのですが、リーマンショック、その後の東日本大震災で弊社は大きな打撃を受けることとなります。

新しいお客様を見つけなければ...。それにはまず、「横浜の片隅に藤江というグラフィックデザイナー兼カメラマンがいるということを、できるだけ多くの人に知ってもらわなければ!」と考え、設立10年経ってようやく積極的に自分をアピールすることにしました。今まではあまり人前に出て喋ることもなく、ましてや知らない人ばかりの場に出かけていくことなど考えられませんでしたが、「ここで自分を変えなければ、それまでになってしまう」ので、強制的 に自分の性格を変えることになりました。最初のころは吐き気をこらえて人と会うくらいの重圧でしたが、続けていけば慣れるものですね。また初対面の人と他愛もない雑談ができるよう、雑談力をつける教室にも1年半通い、その結果今では初めてお目にかかる方とも笑顔でおしゃべりできています。

そうした結果、仕事の打ち合わせでも「相談しやすかった」、「話しが面白い」と言ってくださるケースが増え、「笑顔でお話を伺う」ことが今の私のモットーとなりました。デザイナーは自分がいいと思うものを勝手に作るのではなく、お客様との対話を元に最適解を作り上げていくものだと考えています。そうしないとお客様の売上アップに貢献できませんし、そもそも頑固で怖い職人とは、気軽に相談できませんものね。

プライベートはマニアック体質です
フライトジャケットやワークブーツ、腕時計に万年筆、ミニカーが好きな、かなりのマニアック体質。映画も好きでよく観に行きます。
またコロナ禍のステイホームをきっかけに中学生以来のプラモデル作りを再開し、ミリタリーモデルを中心に作っています。模型作りはまとまった時間が取れなくても、少しずつ手を入れていけるのがいいですね。自信作をいくつか載せておきます。
更に2018年の結婚を機に、料理づくりもしています。とはいえ私の場合は豪華な食材を用いて時間をかけて調理する一品ではなく、冷蔵庫の中にある食材で作る、毎日の惣菜ですが。自分と妻の分のお弁当も私が作っているんですよ。

戦車A
戦闘機A
戦車B
戦闘機B

...小さなあれこれと言いつつ、かなり細かいことも書いてしまいました。
もしこの先お目にかかれることがあれば、これらが会話のきっかけになればいいなと思います。